プロフィール

柚山 征四郎(ゆやま せいしろう)。
松山と神戸で学生時代を過ごす。大学卒業後、東京と松山で小売業、建築業、通信制高校教員などを経験し、現在は塾講師と某大手通信制高校で主に国語・英語・日本史の担当講師として勤務。
近年は、総合型選抜受験学生の急増により小論文や志望理由書の添削も担当。
サッカーとゲームに明け暮れた青春、そして最初の「失敗」
私の記憶の始まりを辿ると、そこにはいつも、土にまみれたサッカーボールと、テレビ画面の中で目まぐるしく動くゲームのコントローラーがありました。
生まれ育ったのは愛媛県松山市。温暖な気候に囲まれたその街で、私はこれといった大きな悩みも持たず、ただその日その瞬間の楽しさに没頭する、ある意味では「理想の青春時代」を謳歌していました。
放課後は部活動のサッカーで息を切らし、家に帰れば友人たちと時間を忘れてゲームの画面に向かう。何か特別な社会問題に関心があったわけでもなければ、将来の日本をどうにかしたいといった壮大な大義を抱いていたわけでもありません。ごく普通の、どこにでもいる高校生でした。
人の機微を見抜く、無意識の「観察眼」
ただ、当時から不思議と周囲に言われていた自分の「癖」のようなものがありました。なぜか昔から、友人たちの相談に乗る機会が多かったのです。
部活の人間関係の悩みから、進路の迷い、あるいはもっと些細な日常の愚痴まで、私はただ彼らの話を聞いていました。その時に、無意識のうちに働いていたのが、私の「観察眼」だったのかもしれません。
相手がどんな時に視線を落とすのか、どんな言葉を使う時に本当に熱がこもっているのか、あるいは言葉とは裏腹にどこで怯えや戸惑いを見せているのか。人の細かな「癖」や、感情の機微を無意識のうちに見抜くことが、自分にとっては当たり前の感覚だったのです。
甘えの先にあった、第一志望不合格という現実
しかし、そんな心地よい青春の時間は、ある日突然、冷酷な現実を突きつけてきました。
高校2年生の秋口になっても、私は自分の進路や勉強というものに、どうしても真剣に向き合うことができませんでした。「まだ大丈夫だろう」「周りも同じようなものだ」そんな甘えが心のどこかにあったのだと思います。
気づいた時には、受験の時計は引き返せないところまで進んでいました。結果は、第一志望校への不合格。周囲の友人たちが次々とサクラサク春を迎える中で、私だけが取り残されたような深い闇の中に放り込まれました。
当時の私にとって、その不合格という事実は単なる受験の失敗ではありませんでした。「自分のこれまでの生き方すべてが否定された」と感じたのです。
サッカーに明け暮れ、ゲームで遊び回った日々が、すべて無価値な時間の浪費だったかのように思えてなりませんでした。自分には誇れるものが何もない。
真剣に「人生に失敗した」と思い込み、松山の澄んだ青空を見上げることも辛い時期が続きました。
「あれでもない、これでもない」と繰り返した遠回りの先で
受かった大学の中で、最も校舎の雰囲気が好きだった学校へ進学したものの、私の心にかかった霧が晴れることはありませんでした。
大学生活は、良くも悪くも「何の変哲もない」ものでした。周囲に流されるように講義を受け、なんとなく時間を消費していく日々。
あの受験の挫折によってついた「自分は本番に弱い」「誇れる強みがない」という心の傷は、無意識のうちに私の行動を消極的にさせていたのだと思います。
大学を卒業し、社会に出てからも、私の「迷走」は続きました。確固たる目的意識を持たずに就職したため、仕事の現場で少しでも壁にぶつかると、「これは本当に自分がやりたかったことなのだろうか」という疑念が頭をもたげるのです。
あれでもない、これでもない。気づけば私は、様々な業界を転々と渡り歩く、いわゆる「職歴の整合性がない人間」になっていました。
履歴書に増えていく退職の文字を見るたびに、かつて高校生の時に感じた「人生の失敗感」が静かに首をもたげてくるようでした。
周囲の同世代がキャリアを着実に積み上げ、役職に就いたり結婚したりしていく中で、自分だけがいつまでも薄暗いトンネルの中を歩いているような、そんな焦燥感に苛まれていました。
「リフレーミング」が教えてくれた、遠回りの意味
しかし、心理学には「リフレーミング」という言葉があります。ある枠組みで捉えられている物事を、違う枠組みで見ることで、その意味を180度変えるという手法です。
当時の私は知る由もありませんでしたが、この一見すると無駄でしかなかった「遠回り」の経験こそが、のちに多くの高校生を救うための最大の武器へと反転していくことになります。
通信制高校で出会った、かつての自分のような若者たち
様々な職を転々とした最後に、私は一つの教育現場に出会いました。それが「通信制高校」での仕事でした。
そこには、かつての私のように、あるいはそれ以上に、人生の早い段階で様々な障壁にぶつかり、傷つき、不登校や人間関係の悩みを抱えた「多様な境遇の若者たち」が集まっていました。
彼らの多くは、口を揃えてこう言いました。「自分には何の実績もない」「普通の人みたいにうまく生きられない」「語るべき未来なんて何もない」と。
自分が発するポジティブな言葉が、自分自身を変えていく
通信制高校で彼らと日々向き合う中で、私はかつての自分自身の姿を何度も重ね合わせました。
「自分はダメな人間だ」と思い込んでいる生徒たちの前で、私は不思議と、彼らの「良いところ」ばかりが目に飛び込んでくることに気づきました。それは、学生時代から私が持っていた、人の癖や特徴を見抜く観察眼が、最も美しい形で発揮された瞬間だったのかもしれません。
ある生徒がぽつりと言った一言の奥にある優しい気遣い、ある生徒が自分の好きなアニメについて語る時の異常なまでの熱量。彼らは気づいていないけれど、そこには確実に、その子にしか放てない「光」がありました。
私は彼らに、毎日のようにポジティブな言葉をかけ続けました。「君の今の視点はすごく面白いよ」「その優しさは、誰もが真似できるものじゃない」「これまで遠回りしたからこそ、人の痛みがわかるんだね」と。
最初は心を閉ざし、俯いていた生徒たちが、私の言葉をきっかけに少しずつ顔を上げ、自分の言葉で未来を語り始める姿を目の当たりにしました。
その変化は、私にある重大な心理的事実を教えてくれました。人は、他者から与えられた肯定的な言葉によって自己概念を書き換え、未来の行動を変えていくことができる。
言葉をかけ続けるうちに、自分の過去も肯定できた
そして何より、生徒たちにポジティブな言葉をかけ続けていた私自身の中にも、ある変化が起きていたのです。
生徒たちの可能性を信じる言葉を口にしているうちに、私は自分自身の過去をも肯定できるようになっていたのです。あの受験の失敗も、業界を転々とした遠回りも、すべてはこの子たちの痛みに共感し、彼らの隠れた強みを見つけ出すために必要なプロセスだったのだ、と。
言葉は、単に事実を伝えるための道具ではありません。言葉は、それを発する人間のマインドを形作り、まだ見ぬ未来の現実を引き寄せる力を持っています。
自分が発する言葉が変われば、行動が変わり、行動が変われば未来が変わる。その確信を得た時、私のこれまでのすべての遠回りが、一本の美しい線へと繋がったのです。
かつての「塾生」が、未来を語る相棒になるまで

教育の仕事に深い意義を見出し、さらに学生たちの内面を深く掘り下げたいと考えていた頃、私は「アフェッティ」という学習塾で、一人の少年と出会いました。それが、現在の「パスハック」の代表である長岡君です。
出会った当時の彼は、特別なエリートでも何でもなく、どこにでもいる「勉強に悩みを抱える一人の塾生」に過ぎませんでした。
標準的な高校生の裏に隠れた「凄まじい原石」
しかし、彼と対話を重ね、関係性が深まっていくうちに、私の観察眼は彼の標準的な高校生らしさの裏に隠された「凄まじい原石」を捉えました。
彼は自分の現状に決して満足していませんでした。もっと成長したい、もっと広い世界へ飛び出したいという、静かですが強烈な「向上することへの野心」を秘めていたのです。
さらに驚かされたのは、彼が描く将来の展望の明確さと、それを実現するためにすぐさま一歩を踏み出す、類まれな「行動力」でした。多くの大人があれこれと言い訳を探して動かない中で、彼は泥臭くても、未完成でも、とにかく行動を起こしていました。
私は生徒と講師という関係性を超えて、彼のその姿勢に心から感心させられ、同時に深い敬意を抱くようになりました。それと同時に、心の中でいつもこう願うようになっていたのです。
「長岡君のような、圧倒的な熱量と行動力を持った人間が、もし将来教育業界を選んでくれたら、一体どれほど多くの学生たちの救いになるだろうか」と。
彼が持つ野心と私の持つ観察眼が合わされば、日本の受験教育に新しい風を吹き込むことができるかもしれない。
その予感は、数年後、彼が東京で大学での学問とwebマーケティングの研鑽を積み、私に「一緒に塾を立ち上げましょう」と声をかけてくれたことで、最高の現実として結実することになりました。
かつての塾生は、今や同じ志を持つ、最も信頼できる「相棒」となったのです。
核心の理念:「言葉が、未来の自分をつくる」
長岡代表と共に私たちが松山市に立ち上げた「パスハック」は、総合型選抜(旧AO入試)に特化した対策塾です。
なぜ、一般のペーパーテストの塾ではなく、総合型選抜なのか。それは、この受験方式こそが、生徒の「言葉の力」と「これまでの生き方」を最も必要とする場所だからです。
私たちが指導の核心に据えている理念、それはシンプルですが、私の人生すべてを賭けて導き出した真実です。
「言葉が、未来の自分をつくる」
テンプレートと「盛る」指導への、強い違和感
現在の受験市場、特に総合型選抜の対策において、私は強い違和感を覚えることがあります。巷には「受かるための志望理由書のテンプレート」があふれ、面接で何を言えば高く評価されるかといったテクニックばかりがもてはやされています。
ひどい場合には、生徒に大した実績がないからといって、過去の経験を大袈裟に表現したり、講師が代わりに綺麗に「盛った」文章を書き上げたりする塾もあると聞きます。
しかし、心理学的な観点から言わせていただければ、そのような「他人に作られた、等身大ではない言葉」で合格したとしても、生徒のその後の人生には歪みが生まれてしまいます。
大学の面接官は何百人、何千人もの受験生を見てきたプロです。表面だけを綺麗に取り繕った、本人の魂がこもっていない言葉は、一瞬で見抜かれます。
仮にすり抜けて合格できたとしても、入学後に「自分が本当にやりたかったことではない」と、かつての私のようにアイデンティティの危機に直面し、あれでもないこれでもないと再び遠回りをすることになりかねません。
必要なのは、その子自身の「等身大の言葉」
だからこそ、パスハックでは「話を盛る指導」を排除します。必要なのは、綺麗に飾られた他人の言葉ではなく、泥臭くても未完成でも、その子自身の内側から溢れ出てくる「等身大の言葉」です。
サッカーしかしてこなかったのなら、そのサッカーの日々の中にこそ、その子だけの視点があります。ゲームに没頭していたのなら、その没頭力の中にこそ、他者が真似できない強みが隠されています。
「実績がない」のではなく、「自分の経験をどう言葉にすればいいかを知らない」だけなのです。私たちは、その言葉を掘り起こすための伴走者でありたいと考えています。
その理念をどう実践しているか
では、具体的にパスハックでは、どのようにして生徒の「等身大の言葉」を引き出し、合格へと導いているのでしょうか。そのプロセスは、単なる文章添削の域を遥かに超えた、徹底的な「対話」と「自己分析」から始まります。
私の役割は、生徒が持ってきた志望理由書の文字面を直すことではありません。彼らが語る何気ない日常のエピソードにじっと耳を傾け、持ち前の観察眼をフルに稼働させることです。
生徒が「大したことじゃないんですけど……」と前置きして話す内容にこそ、本質的な強みが眠っているケースが非常に多いのです。
例えば、チームの中でいつも裏方に徹していたという生徒がいたとします。本人はそれを「リーダーシップがない欠点」だと思い込んでいます。
しかし、対話を重ねる中で、その裏方としての行動の裏に、驚くほど緻密な周囲への配慮や、組織の課題を先回りして解決する能力があることを見抜きます。これが、私たちが大切にしている「本質的な強みの言語化」です。
徹底して「なぜ?」を繰り返し、借り物の言葉を手放す
志望理由書や小論文、面接の対策において、私たちは徹底して「なぜ?」を繰り返します。「なぜ、君はその学問を学びたいのか」「なぜ、他の大学ではなくこの大学なのか」。
この問いに対して、本人の経験に基づかない借り物の言葉(例:社会貢献したい、地域を活性化したいなど)が返ってきたとき、私はそれをそのまま通すことはしません。「それは本当に君自身の言葉かな?」と優しく問いかけます。
生徒が自分の頭で考え、自分の過去の痛みが挫折、あるいは純粋な喜びと結びついた「動機」を見つけた瞬間、彼らの書く文章は劇的に変化します。文字に命が宿り、読む者の心を動かす圧倒的な説得力が生まれるのです。
保護者の方と一緒に、お子様の成長を見守る
また、この丁寧なプロセスは、保護者の方々への安心感にも繋がっています。総合型選抜に挑戦するお子様を持つ保護者の方からは、「うちの子に語れるような実績なんてないのに、大丈夫でしょうか」「推薦入試は水物だから、一般受験の勉強が疎かになるのではないか」という不安の声を本当によく耳にします。
私たちは、日々の指導内容や進捗、そしてお子様が今どのような課題に向き合い、どう成長しているかを、保護者の方へ誠実に共有することを徹底しています。
私たちはただ受験に受かるためだけでなく、この受験対策を通じて、お子様が「自分の人生のハンドルを自分で握る」マインドへと脱皮していく姿を、保護者の方と一緒に見守っていきたいのです。
これから来るあなたへ
いま、この文章を読んでいる高校生のあなた、そして保護者の方へお伝えしたいことがあります。
もしあなたが、「自分には誇れるような実績が何もない」「志望理由書になんて書けばいいのかわからない」と、かつての私のように焦りや不安を抱えていたとしても、どうか絶望しないでください。
受験において、そして人生において、無駄な経験なんて何一つありません。あなたがサッカーの部活で悩んだことも、ゲームに夢中になった時間も、あるいは勉強に向き合えずに少し遠回りをしてしまったと感じているその焦りでさえも、すべてはあなたという人間を形作る大切な「地層」です。
大切なのは、その地層から、あなただけの「言葉」を掘り起こすことです。綺麗に盛り付けられた嘘の言葉で合格を勝ち取っても、未来のあなたは救われません。
あなたのこれまでの歩みを、そのまま肯定し、それを社会や大学へ繋ぐための言葉を、一緒に見つけていきましょう。
松山のこの場所で、あなたとお会いできる日を心から楽しみにしています。
